
家のアルバムの中に懐かしい写真があった。
35~37年前の茅ヶ崎で開催したビクトリーカップ!
当時俺は18~19ぐらいだったかな。
小間使いの頃。
18歳でビクトリーに入り、忙しいシーズンは朝の9時から夜中の12時まで。
それが定時と呼ばれ、そこからが残業。
AM2:00〜AM3:00まで仕事していた。
俺と同じ時期に20人ものアルバイトを同時に募集したが、あまりの過酷さで皆んな辞めて行った。
残ったのは俺だけ。
まあやることなかったし、ウェット作りが好きだったので続けられた。
今じゃ考えられないが、夜仕事を抜け出し工場長と新規オープンのスナックに行ったことがある。
工場に新規オープンのチラシが落ちていて、2人がいない!もしかして…とスナックに電話がかかってきた!
なぜ分かったんだ?!とすぐさま二人で工場に戻ったら、二人の考えている事はお見通しと皆に笑われた!
楽しみながら仕事した良い時代でした。

真ん中右がデリックホー、左がマイケルホー。
当時どう言う訳かウエストより上のパネルをホワイトにするのがビクトリーでは流行っていた。
ん〜〜〜どうでしょう。

当時ビクトリーのライダーだった柄沢あけちゃん。
ビクトリーカップでゼッケンを配っていたな〜
息子さんはなんとコナーオレアリー。
昔二人で飯食ってた時、彼がオーストラリア人なんだと嬉しそうに話してくれた。
その息子がコナーとは感慨深い。
俺のルーツはやっぱりビクトリー。
ビクトリーに入らなければウェット屋にもなっていなかった。
ウェットづくりは一生のライフワーク。
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