これは俺の遺書です。
俺が存在していたと言う証明として、記憶を呼び起こし書いて行きます。
生まれた時から現在まで、印象に残っている記憶を辿る旅。
追伸「孫やひ孫へ」
お爺ちゃんはこんな人生だった。
とても楽しい人生だったよ。
だから悲しまないように。
【シーズン1・エピソード1】*シーズン1=0〜10歳
1966年10月1日に俺は生まれた。
皆んな俺のことを茨城県生まれだと思っているが実は違う。
俺は東京葛飾柴又生まれ。
寅さんと同じ生まれ故郷。
だから俺は寅さん、柴又帝釈天が大好きだ!
オヤジの実家は、新潟県の裕福な家だったそう。
当時、銀行のような役割で村の方々にお金を貸していたらしい。
その為、忙しい両親に育てられず家政婦さんに育てられたオヤジ。
ワガママな性格はこの時形成されたと推測できる。
おふくろはごく一般の家に育ち、実家は茨城県の日立市。
大家族の長女として生まれる。
苦労してきたおふくろ。
18歳で東京に移り住み、大家族の為に仕事を探す事になる。
おふくろは不動産屋に借家の物件を探しに行ったそうだ。
その時担当してくれた人が将来の旦那のお姉さんだったとは…
この時に運命の出逢いがおきていた。
丁寧に接客してくれ意気投合。
そして不動産屋のおねえさんの弟であるオヤジと運命の出逢いに繋がる。
細かい馴れ初めはそれ以外聞いた事が無いが、不動産屋の担当者の弟さんと結婚するとはこの時想いもよらなかったことだろう。
続く。
【シーズン1・エピソード2】*シーズン1=0〜10歳
中々0〜10歳までの記憶を呼び起こすのは難しい。
何歳かは忘れたが、こんな事があった。
どうやら俺は高熱が出たらしい。
3歳ぐらいかな。
親たちが右往左往している。
次の記憶では親父の背中におんぶされ親父が走っていた。
病院に向かっていたのだろう。
荒々しい息遣いを覚えている。
この時の記憶が鮮明に今でも覚えている。
自分も親になって気づいたが、子供の病気は本当に辛い。
出来れば変わってあげたいと思う。
高熱が出ればぐったりしている。
見ているだけで辛くなる。
早く良くなれと見守る事しかできない。
親は偉大なり。
自分が親になって初めて気づく。
ここで親父に少し触れておこう。
親父は新潟県生まれ。
兄弟は多いが何人いたのかは記憶があまりない。
幼い頃は親父の実家、新潟にも何度か行った事がある。
大きな日本家屋。
裕福な家だったのだろう。
親父は短気でお酒が入ると気性が荒くなる。
新潟の実家では「秋夫」(秋夫とは親父の名前)が帰ってくるぞ!と村中噂になるぐらい大事件だったそうだ。
まさに「寅が帰ってくるぞ!」そんな感じ。
何故かと言うと、酒が入ると必ず喧嘩が始まる。
兄弟喧嘩。
その喧嘩がただの喧嘩じゃない。
喧嘩で思い出した。
時は流れ、俺が高校卒業して茅ヶ崎に住んでいる時だったと思う。
家に親父の弟さんが泊まりに来たそうだ。
当然夜はお酒が入る。
徐々にお酒の量が増えていき、何か親父の逆鱗に触れる事が起きたよう。
すると親父は弟さんに殴りかかった。
弟さんは慌てて家を出るも、親父がその後を追いかけて行ったそうだ。
弟さんはそのまま戻って来なかったとお袋に後で聞いた。
その弟さんは千葉に住んでおり、タクシーに飛び乗り千葉まで帰ったそう。
そんな親父なので親戚付き合いがほとんど無い。
続く。
【シーズン1・エピソード3】*シーズン1=0〜10歳
子供の頃の記憶に戻ろう。
どうやら幼稚園の記憶が甦ってきた。
朝お袋の自転車に乗り幼稚園に向かう。
その自転車に乗るのが何よりも楽しみだった!
颯爽に風をかき分けて進んでいく自転車が楽しくて仕方ない。
幼稚園ではなぜか猿がいた。
檻に入れられ近くで見る事が出来た。
可愛いと言うより怖かった。
ある日先生とブランコに乗っていた。
他の園児達は皆帰って自分一人だった。
どれぐらい先生とブランコに乗っていただろうか?
するとお袋が現れた。
俺は嬉しくなりすぐ自転車に飛び乗った。
その日の帰りお袋は優しかった。
遅れてしまった事が申し訳無かったのだろう。
帰りに肉屋に寄り、揚げたてのコロッケを買ってくれた。
その時のコロッケが本当に美味しかった。
続く。
【シーズン1・エピソード4】*シーズン1=0〜10歳
確か5歳ぐらいだろうか…
雨が降っていた。
俺、お袋、親父、親父のお姉さんが居た。
俺とお袋はタクシーに乗った。
少し皆の様子が変だった。
親父は真剣な顔で「必ず迎えに行くから」そう言った。
おばさんは泣きながら「たーちゃん元気でね」そう言った。
どうやら俺とお袋はどこか遠い所へ行くようだ。
何時間もタクシーに乗っていた。
後で分かったがお袋の実家、茨城県まで行ったようだ。
そこまでで記憶が途切れている。
なぜ高いタクシーを使って急に東京から茨城まで行ったのか?
今考えても不思議だが、俺の推測はこうだ。
何か身の危険が迫っていたのかも知れない。
当時親父は相当ヤンチャ者で、反社とも交流があった。
そっちの世界で何かあったのかと想像できる。
あくまでも想像だが親父の性格なら何か引けない事が起きたのだろう。
そしてここから茨城生活が始まるのであった。
続く。




