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ブランドストーリー「第二話」

apollo sports

ビクトリーからアポロスポーツへ移籍した。

やる事は変わらない。

ただ勤務地が茅ヶ崎から海老名に移っただけ。

 

新築で建てられた工場はとても綺麗で広かった。

日本のウェット工場では一番大きなファクトリー。

一階には事務所、倉庫、ファクトリースペースがあった。

裁断、型紙が一階。

 

2階は社員食堂とファクトリースペース。

ハリ、マーク入れ、縫製。

俺は基本一階の型紙スペースで仕事をしていたが、足りない部署を兼務していた。

アポロ新設から入社した方々はウェットの事を知らないので、ビクトリーのメンバーが主に仕事を指導していた。

 

アポロ時代も忙しいのは変わらない。

ただビクトリー時代のように夜中まで残る事は無かった。

それでも21時、22時頃までは働いていた。

 

アポロ時代では下請け工場にも仕事を出すようになっていた。

自社工場だけでは生産が追いつかなかったからだ。

湘南には個人でやっている小さなウェット工場が沢山ある。

アポロ工場で裁断、マーク入れをし、必要な備品をセットし下請け工場に届け組み立ててもらう。

 

それも俺が担当していた。

下請け工場に部材を届け、作り方を説明する。

時には一緒に作業しながら説明する事もあった。

 

その為、下請け工場の方々とは自然と仲良くなっていった。

DON WETSUITS.  ACTIVE WETSUITS.  JAPAN WETSUITS.  OCEAN SIDE. KINGO VON MINGO.

全て茅ヶ崎にあったウェット工場。

 

あるとき会社からこんな話があった。

独立して下請け工場になりたいのであれば支援すると。

ミシン、作業機器は全て会社でリースしてくれる。

こんないい話は無い。

 

後は自分で場所さえ見つければ良いだけ。

俺はこの話に真っ先に手を挙げた。

会社も了承してくれた。

 

ただこの時点で俺に足りない技術あった。

それが縫製。

ビクトリー時代も縫製だけはやって来なかった。

ここからは縫製の勉強をすべく毎日ミシンを踏んだ。

 

ウェットを一着作るためにミシンは4種類必要になる。

全て縫い方が違う。

ファスナーを付けるWミシン。

裾を丸め処理する千鳥ミシン。

袖や襟のパーツを付けるロックミシン。

スーツ全体を縫うスクイミシン。

 

一つ一つのミシンに特性があり、一人前になるまでにかなりの時間を要する。

一種類のミシンだけでも数ヶ月から数年もかかる。

納得が行くまでミシンを踏んだ。

 

一着のスーツを縫い上げていると、全くブレる事なく綺麗に縫える時がある。

そんなスーツは20着縫って1着あるかどうか。

通常は80点(自己評価)がほとんどで、20着に一回100点が出せる。

仕上がったスーツを見ると惚れ惚れする。

 

しかし80点のスーツも100点のスーツも一般の人が見たら見分けはつかない。

それぐらいミシンは奥が深い。

やっと独立出来るまでミシンが上達した。

後は工場を見つけるだけ。

 

あるサーフショップのクラブハウスが茅ヶ崎の美住町にあり、そこの一部屋を借してもらえる事になった。

8畳ぐらいのスペースだが、ハリ台、ミシン4台が収まった。

ここから俺の下請けとしての独立が始まる。

ビクトリーのサーフスーツからアポロのダイビングスーツまで作っていた。

 

初めは一日一着。

手が慣れてくれば二着と生産を増やして行った。

月産50着前後作れるようになった。

 

そんな下請け仕事を続けているとある方からお声がかかった。

一緒にウェット屋をやらないか?

その方はビクトリー時代、俺の指導をしてくれた工場長であった。

当時俺も無不自由なく仕事、お金も回せていたのでかなり悩んだ。

 

しかし俺は下請けをやめ、会社を立ち上げる事に力を貸そうと思った。

その時に立ち上げた会社が株式会社シーワークス。

ブランド名がスリーフォース。

俺は工場を管理し、社長は営業担当となった。

 

続く。

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