色々なメーカーのスーツを作らせていただきました。
- Mr.B
- 13 分前
- 読了時間: 3分

自慢になってしまうので言う事を控えてきたが、嫁はちょいちょい言った方が良いと言う。
「それは自慢でもなんでもない」
「ブログアップのタイミングで見ていない人がいるから何度でも出した方が良い」
と言う。
まあ確かに…
そうは言っても俺はそう言うのが苦手。
人知れず勝手に知れ渡る方がイイと思っている。
でも誰にも言わなければ知れ渡るはずが無い。
という訳で少しだけ話をさせてください。
大昔に一度だけ(PATAGONIA)ブログに書いた事がある。
この時の反響は凄かった。
その他のブランドは多分初お披露目だと思う。

まずはGOTCHAさん。
何十年前だろうか?
27〜8年以上前だと思う。
BGZが最初に受けた大手さん。
GOTCHAさんの販売先は主にムラサキスポーツ。
ある時期、ムラサキスポーツさんのGOTCHAのスーツはオイラが企画デザインしたモノです。
当時丸井の大会が日本であり、GOTCHAのライダーだったロブマチャドに大会用スーツを作って欲しいと頼まれた。
大会中、GOTCHAの営業の方に大会来られませんか?とメッセージを届いた。
しかし忙しかったので行かなかった。
今考えてもなぜ行かなかったのか不思議だ。
ロブと直接話が出来たのに。

これはもう時効だから話そう。
GOTCHAさんは洋服、ウェットとトータルでロブをスポンサードしていた。
GOTCHAさんがウェットのスポンサードを切り離し、ウェットをBGZさんでどうですか?と話をもらった。
ロブも賛同してくれたと記憶している。
俺は嬉しい話だが年間いくらかかるのでしょうかと聞いて、BGZには分不相応と判断。
丁重にお断りした。
あの時無理してでもロブを取っていたら全然違う世界になっていたかも知れない。
当時のロブと言えばケリーと人気を二分するサーフィン界のカリスマ。
でもそうしなかったと言うことはそれで良かったと思う。
ある有名なビデオに、俺がデザインしたスーツで出ていた。
それだけで十分だ。

その後、世界的に有名なパタゴニアさんから仕事の依頼が舞い込んできた。
20年ほど前。
当時パタゴニアさんと言えば山のイメージ。
俺も山の会社だと思っていた。

会長のイヴォンを初めパタゴニアにはサーファーが多い。
本社をカリフォルニアのヴェンチュラにしたのも、冬波がいいからだと聞いた。
上の記事は当時SURF1さんに掲載されたもの。
パタゴニアの会長イヴォンと並んで記事が出る事はとても名誉な事。
日本のウェット職人として認められた事は本当に嬉しい。
0から開発を任され、2年の歳月を経て世界リリース。
2年の間、2ヶ月に一度アメリカのパタゴニア本社を訪れミーティングをしていた。
その内皆とも顔馴染みになり、仲良くさせてもらった。
俺の中の良い経歴の一つ。

これは知らない人がほとんどだと思うが、リップカールジャパンのスーツを短期間だがBGZで作っていた。
これも公言していない。
別に言う事じゃないと思っていたので言わなかった。
言わないで欲しいとも言われていない。
当時東京オリンピックでリップカールのライダーだった女子銅メダリストのスーツも作った。
俺が作ったスーツでオリンピックに出たのかは分からない。
だがオリンピック前、大量に彼女のスーツを作ったので着てくれていたら嬉しい。
その他にもまだまだ他社さんのスーツを手掛けて来た。
大小合わせればかなりの数。
現在進行形もあり、これから話が進むものもある。
こう言った話は俺から営業している訳じゃない、毎回話が勝手にやって来る。
そして一つ不思議な事が…
俺に話が来るのは大体が海外ブランド。
なぜだろうか?

これは30年前に作った初代ジェーズファクトリーのロゴ。
そこにヒントが。
30年前からインターナショナルと明記していた。
ロゴが引き寄せた奇跡なのか?
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